交通事故にあった時の話 〜車VSきらこ〜

オッス!

きらこです!

今日は、

私が二十歳の誕生日の次の日に
車にひかれた時の話をします。

今でこそ、心身ともに健康で
日々修行に
励んでいる私ですが、

マジで、

いつ死ぬかわからないよ。

ということをお伝えしたくて、
記しておこうと思います。

車に轢かれた時のことを
結構リアルに書いているので
経験のない方は、新鮮だと思います。

自転車VS車の接触事故

二十歳の誕生日を迎えたきらこちゃん。
当時ピチピチの女子大生。

「いってきまーす!」

いつものように
自転車で駅に向かう。

その1分後、
私は車に轢かれた。

毎日通ってる道で。
家から1分のところでだ。

私の走っていた道は直線で、
優先道路だった。

そこへ、横の道から、
本来なら一時停止する場所で止まらず、

ジャストタイミングで
車が飛び出してきた。

完全に車側に非があるのだが、
私は自転車だったので文句を言う暇もなく、

吹っ飛ばされた。

 

車に轢かれたら・・・

車に轢かれる瞬間って、
皆どんな感じなんだろう。

私の場合は轢かれる寸前、
自分に突っ込んでくる車が
スローモーションに見えた。

運転していたおばちゃんの顔まで
ハッキリと見ることができるくらいに。

「あ、やべ、死んだ」

って思ったところで、
私の目の前は真っ暗になった。

ゲームオーバー。

なので、

車にブチ当たった瞬間のことは覚えてない。

痛いとか怖いとかも、無い。

もし私がその時死んでいたら、
私の人生はそこで終了だったはずだが、

幸い、生きていた。

気づいたら私は、
道路に転がっていた。


ぼんやりとした視界の先には
乗っていた自転車が反転し、
荷物の中身がバラバラに転がっていた。

これが、ドラゴンボールの世界・・・

その時の意識は、
とてもハッキリしていたのを
今でも覚えている。

心臓が破裂しそうなくらい
ドクンドクンと波打っていた。

痛みは全く感じない。

脳味噌がフル回転していて
普段より目が良く見える。

アドレナリンが
ドバドバ出ていたのかもしれない。

しかし、体が動かせない。

立ち上がろうと試みたが
起き上がれなかった。

くっ・・・

これがドラゴンボールの世界か・・・!

体がいうことを聞かねえ・・・!!

アホだけど、
マジでこんなことを考えていた。

自力で母に電話


「お母さんに連絡しなきゃ」

ふとそう考えた私は、

道路に散らばっている自分の荷物の中から
無駄に良くなった視力で携帯電話を発見し、

携帯が転がっている所まで
自力で這って行って、母に電話した。

「お母さん、ごめん、
車に轢かれちゃった・・・」

状況が全然把握できていないようだったが、
母親の声を聞いた瞬間、
なぜか涙が出た。

さらに、

その日は大学のゼミで
プレゼンがある日だった。

脳味噌フル回転で、変に冷静だった私は、

「ごめん、車に轢かれたから
今日行けなくなっちゃった」

と、ゼミの友達にも自力で休む連絡を入れた。

(当時の私は普通にしゃべっていたつもりだったが、後から友達に聞いたら、声が掠れていて息が荒く、終始ハアハアしていたので、変質者から連絡が来たのかと思ったらしいwww)

これでよし。

ひとまず安心したので、

私は再び、その場に転がった。

対応がダメダメなおばちゃん

因みに、私のことを轢いたのは
「おばちゃん」だった。

「どうしよう!どうしよう!」

と、泣きながらパニクっていた。

「救急車…」

と、私は言っていたが、
聞こえていないようだった。

マジで役に立たねええええwww


しばらくすると、

外の様子がおかしいと感じた
近所の奥様方が集まってきた。

そのうちの誰かが
救急車を呼んでくれたようだ。

その間に、母親も到着。
またちょっと泣いた。

はじめての救急車

救急車が到着し、
中へ運び込まれる私。

アドレナリン覚醒モードが
解かれはじめたのか、

じわじわと身体中に痛みが出てきていた。

もう這う力もない。
かろうじて動くのは右手だけだった。


なんだか意識もボーッとしてきた。

その時、私は何を思ったのか、
右手に握りしめていた携帯で、
mixi の日記を必死に更新し始めた。

※律儀に救急隊員の方へ携帯OKか確認したw


「車にひかれてしまいました。
救急車なう。
しばらく大学休む可能性があります。
授業ノートたのみます」

たしかこんなような日記を書いた。

その後しばらく
mixiにログインできなかったので、

友達からは
「きらこ、死んだ・・・?」
と思われてたらしい。

因みに、後日事故当日の日記を確認したら
過去最高数のコメントだった。笑

本当の地獄はこれからだ

病院に運び込まれたのはいいが、

救急患者スペースのような場所で、
私は放置されていた。

この頃にはもう全身に痛みが出ていて
体を動かすことも出来ない。

ただただベッドの上で痛みに耐えるだけ。

うー・・・あー・・・

もはやゾンビ状態。

痛い。いっそ殺してくれ。
楽にしてくれ。

ってくらい痛かった。

時間感覚も
わからなくなっていた。


しかし、こんなゾンビ状態でも、
救急患者の中では元気な方だったらしい。

なぜなら、

次から次へと
救急患者が運び込まれてくるのだ。

猛スピードで、何台ものベッドが
私をスルーして横切っていった。

てことは、

もう殆ど、死にかけとか、
意識がないとかそういうレベルで
危険な状態の患者さんてことだろう。

それはわかってる。

わかってるけど・・・。

つらああああ

うあああああ

いたいいたいいたい

早くしてくれ!と叫びたくても
痛くて声も出せない。

母親は別の場所で待っていたので
話をすることもできない。

放置プレイをかまされながら
私はただただ痛みに耐えていた。


地獄・・・

これが一番辛かった。

後遺症認定されました

幸い、一番ひどいケガは、
左肩靭帯損傷だった。

車に吹っ飛ばされた時に、
左肩から地面に落ちた可能性が高い。

他にも捻挫、打撲、切り傷、擦り傷など
細かいケガはたくさんあったが、
骨折もなく、体の中身も無事だった。


しばらくは、

首から上半身にごついギプスを装着し
固定された状態で、ほぼ寝たきり生活を送った。

いくつか薬も飲んでいた。

自由に身体が動かせないことが
こんなにも精神的ストレスになるとは・・・。

上半身のギプスから解放された後は、
左腕ギプス生活が始まり、
この頃には大学にも復帰していた。

さらに数ヶ月すると、ギプスは完全に取れた。

きらこ復活!

めでたしめでたし♬

とはならないのが現実だ。

確かに側から見れば私はほぼ復活していた。

痛みもほとんどない。

何もしなければ。

私は左腕で荷物を持つことが
できなくなっていた。

電車のつり革を左手で掴むことも
できなかった。

全然、治ってねえ・・・。


ほぼ毎日病院に通っていたが
状態は良くならず、
最終的に後遺症認定されてしまった。

しかし、

その後も地道にリハビリを続けた結果、

現在は荷物も持てるし、つり革にも掴まれる。
腕立てもできるようになった。


ただ、医者が言うには、

「年をとってからがキツイ」

らしい。


歳をとって、筋肉が衰えてきた時に、
首や肩に痛みが出ると言うのだ。
これは殆ど避けられないとのこと。

やだーーー。

そう、私は、
車に轢かれたあの一瞬で、

死ぬまで身体を
鍛え続けなければいけない運命を
背負わされてしまったのだった・・・。

END

人はいつ死ぬかわからない

さて、

ここまで私が事故った時の一部始終を
長々とお話させていただきました。

結局、何が言いたいかっていうと

マジで人はいつ死ぬかわかんないよ

ってことです。

最近だと、

ブルマの声優の鶴ひろみさんが
大動脈解離で突然亡くなりました。

まだ50代です。

亡くなったニュースを見た時は、
ショック過ぎて
全身の力が抜けました。

急に病気になるかもしれない。

大きな震災がくるかもしれない。

交通事故にあうかもしれない。

それはいつかはわかりません。
一生こないかもしれません。

しかし、
他人事だと思わないでください。

私はたまたま、

二十歳の誕生日の次の日に
車に轢かれました。

もし、そこで死んでいたらと思うと、
恐ろしいです。

私何も悪いことしていないのに。

運転が下手なおばちゃんの車に
突っ込まれて人生終了とか。

絶対イヤでしょ。

仮に生きていたとしても、
今、当たり前だと思っている日常が
いつどこで奪われるかわかりません。

私が普通の会社に就職せずに、

親の反対を押し切って
ベンチャーへ入ったり、

多少リスクを取ってでも
自分がワクワクする道を選択したり

人生後悔しないように
自分らしく生きたい!!

と行動してきたのは、

車に轢かれた瞬間、
目の前がブラックアウトした経験があるのも
1つの要因かもしれませんね。


この記事を踏まえた上で、

よければこちらも
合わせて読んでみてください。

【人生を後悔しないために】死ぬ直前の人々に話を聞いてみよう

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このまま現状維持で
なんとなく生きるより

自分の人生を楽しい!と
心から言えるようにしたい。

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